2009年8月 Archives
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心理学的には、2つは別物と考えられているように思います。
ですが、日常会話的には英語でも日本語でもごちゃまぜなっている気がします。それが1つの勘違いのもとなのかもしれないと思いました。
2009-08-14
なおき:いつも、ありがとうございます。
糖質栄養素ビジネスの解雇通知は、取り消しになったという通知が来ました。ですので、まだ続けてビジネスができます。
今回の件では、何人ものお友達にヘルプをいただきました。個人的には、どうでもいいという部分がありましたが、手紙を書いてくれたお友達やビジネスを通してご縁のできた人のことを考えると、やっぱり中途半端にはできないなと思いました。
それで、弁護士さんとも相談したりして、英語力の制限はあるものの個人的に書ける最高の手紙を出して、今回の取り消しとなりました。
今回、特に思ったのが「自尊心」ということでした。「プライド」とは違うものとしてです。
以前に、江原啓之さんのお話で、「なぜ、自分のことを粗末にしたり、適当にしてはいけないか」という質問に対する回答がありました。「自分がそうするのは、まさに勝手で結構だけれども、自分のことを大切にしてくれた親などのことを考えたら、そんなことはできない。それが自尊心だ」というようなのがありました。
つまり、感謝を元にして、自分を大切にすることのように思います。これであれば、自分のことも大切にするし、他の人に対しても大切にしてくれている人がいるのだろうから、とことで尊重できると思います。
Wikipediaを見て知ったことですが、「プライド」とは別のものだということでした。つまり、「自尊心を英語でいうとプライド」と思っていると、間違いということです。
英語と日本語の訳ではごちゃ混ぜになっているようです。つまり、自我の防衛的な部分からきた似たようなものです。それだけに、他の人にたいして攻撃的な反応を起こすことがあるようです。コンプレックスなどから、いじめという行動に出たりなどです。ちょっとしたことで、怒ったり、怒鳴り散らしたりというのも、そうでしょう。
虚栄的なものと、尊重するというものは、やっぱり別のように思います。これを勘違いすると、やっぱりおかしなことになりそうです。
一応、自分は家庭や人間関係にも恵まれていると思いますので、そういうことで感謝がしやすいのかもしれません。
もし、自分で不運とか思っているようですと、勘違いしてしまって、なんかもったいないことをなっているかもしれないと思ってしまいます。
そういう場合、どうするのがいいのでしょう?
ベルガ:どうするもこうするも、それは個人の学びであり自由でもあると、最初に申し上げておきましょう。つまりそのような人には関わらなくても、よいということです。これが基本です。向こうからやってくる場合もあります。
基本以上として、誰か縁のある人や特定の人を何とか助けたいとでも思えば、それは心に従えばよろしいでしょう。それはすでに用意されているプログラムのようなものです。
自分の中で、虚栄心と尊重心とでも言いましょうか。2つが別物と認識できるようになれば、相手の中にもその2つがあることを認めてあげるだけです。
それができれば、虚栄心というのは、簡単に消えます。ただし、そうなるためには偽善でなく、目の前の人を助けたいという気持ちが必要です。それがなければ、よけいにややこしくなることもあります。
なおき:そうですか。そんな感じもしますね。まぁ、合わない人にまで、無理に合わせようとしなくていいというのは、気楽に思えます。
話が戻るのですけど、親とかに大切にされたとかいう意識がない場合や人もいると思いますよ。ただ、この間、おがくずが目に入って救急病院にいったときのことですけど、なんとなくですが、とても守られているというように感じました。左目なんて、このまま視力を失ってしまうかもとも思いましたが、安心させるような感じも受けました。ありがたいことです。
人間の体なんて簡単に壊れるけど、そう簡単に壊れたりして不自由になったりしないのは、守護麗さまかどうかわかりませんけど、なにかやっぱりある気がします。そう、思ったら、やっぱりご先祖様なども大切にしないとと思いました。あ、今日は日本はお盆ですね。
ベルガ:気がつかれないようにサポートするというのが基本です。ただし、気がついてもらうというのもひとつの目標です。
そして基本以上のものがあるとも申し上げておきましょう。
まずは目の前にあるものを見てみるのもいいでしょう。どうやって作られたのか、中身がどうなっているのか、どのような仕組みになっているのか、わからないようなものだらけでしょう。
皆さんの体だってそうでしょう。体のこともわからないのに、心や魂のことなどなど、さらにわかりにくいものです。ただ、そういうことを考える意識もあるわけです。
親や兄弟姉妹や周りの人以前に、皆さん1人1人が今、存在するだけで、実に多くのサポートがあるのです。それをもとに自尊心とするのもよろしいでしょう。
なおき:そうですね。よくわからないことでも、自分に都合のいい考え方というのありますよね。そのように考えるほうが、なんとなく得のように思います。ありがとうございます。
圧力鍋で、とうもろこしを調理する方法です。
1)蒸しモード(水とザル)にして、強火で加熱。
2)シュッシュと蒸気が出始めたら、弱火にして5分
3)その後、火を消して、5分間放置
4)水をかけて、強制冷却
5)とうもろこしを、塩水にくぐらせて味付け
固めのとうもろこしも、もっちり仕上がります。
その後、しょうゆをつけて、火であぶるのも、お好みです。
ありがとうございます。
-Naoki
1)蒸しモード(水とザル)にして、強火で加熱。
2)シュッシュと蒸気が出始めたら、弱火にして5分
3)その後、火を消して、5分間放置
4)水をかけて、強制冷却
5)とうもろこしを、塩水にくぐらせて味付け
固めのとうもろこしも、もっちり仕上がります。
その後、しょうゆをつけて、火であぶるのも、お好みです。
ありがとうございます。
-Naoki
2009-08-10
なおき:いつも、ありがとうございます。
昨日は、長崎の原爆の日でした。お友達で崎での被爆者の人がいて、現在、末期ガンとして余命宣告1ヶ月とされている人がいます。
年齢から逆算すると、10歳のころの体験となります。10歳なら記憶としてたくさん残っているかと思いますし、人格形成にもかなり影響していると思います。詳しくは話していませんが、やっぱり大変だったんだろうと思います。
自分の10歳のころには、何でこんな時期に生まれてきたんだろうとよく思ったものでした。
パソコンと出会うまでは、夢なし、希望なしの変な子供だったように思います。やりたいことがないから、試験でいい点を取ると、ほめられるから、いいことなのかと思って勉強ばかりしていた気がします。
なんだかんだといっても、昔に比べてずいぶんよくなって来ている気がします。戦国時代でもないし、無礼者ということで簡単に斬られる時代でもないし、アメリカは戦争中ですが、日本では戦争は一応ありませんから。
だから変なことに気を向けたりする余裕があるのでしょう。
この間の感謝、感謝のあとで、斎藤一人さんの数年前の講演の聴きなおして、思ったことがあります。
「感謝するのは当たり前」ということと、「感謝してやっとスタート地点」ということです。自分が周りの人やら神さまとかご先祖さまとかに感謝するのは、当たり前ということです。まぁ、なかなか当たり前のことができないから、「まだ、わからないのか」と試練やお試しが来るようですけど。
それでスタート地点というのは、感謝される側にならなければゴールへ向えないというわけです。
ようするに、「感謝される人になりましょう」、「人に感謝されることをしましょう」というわけです。
これは「後ろ指をさされる人にならないように」などというくらい、小学校の道徳とかおじいちゃん、おばあちゃんに教えられるくらいのことだと思います。
結局、基本的な考え方だと思います。そんな簡単なことを、私のように人生1/3から半分ぐらいになってから、ああ、そうだよなと言っているようでは、あんまりよくない気がします。
それで、まわりに迷惑者と見られる人たちを観察していたのですが、「他の人もやっている」、「合法だから」、という理由で、結局、本人が「自分がハッピーでない」と思っているから、周りの人をハッピーでなくしてしまおうというのが根底にあるようです。
それもハッピーでないというのは、単に勘違いや、考え方の問題のようです。どうしたものでしょうかね?
ベルガ:カルマというのも、振り子のようなものなのです。右に行ったら、その分、左にも行きます。
当たり前と思うことを、体験や経験のあとで再確認するのも、それはそれで価値のあることだとも言えましょう。
方向性がまちまちというのも、拡散する光や、雑木林のようなものかもしれません。そのなかで決まった波長のレーザーのようなものが現るのか、大木が育つのか、それも実験とも言えましょう。
今、お子さんを育ていて、やはり世の中に出させるときにことも考えるでしょう。言語やマナーというのも大切でしょうが、自立思考や自分が大切と思ったことを教えるのも大切でしょう。
お子さんもあなたが子供のころのように、まじめすぎるところがあるようですので、それは留意しておいてもいいでしょう。
なおき:そうかもしれませんね。周りの人を観察しているようです。上宮さんのブログにもありましたが、自立思考が大切のようですね。
ありがとうございます。
Hada.orgのウェブサイトにトロイの木馬のコードを入れられてしまいまして、少しのあいだ「攻撃サイト」の扱いになってしまっていました。
すべて、クリアになりました。ありがとうございます。
とりあえず、経緯をまとめておきます。
Pair.comのホスティンングを使っています。
2週間ほど前に、myPhpAdmin(だったかな?) PHPベースで、MySQLの管理ツールがおかしいと、連絡がありました。なにかのプログラムがメールを2万通ほど送っていたようです。これが感染源でした。とりあえず、消しました。
それで、感染プログラムのほうは、public_html以下のすべてのhtmlとphpのファイルの最後に、透明のiframeタグを入れて、reycross.netにあるのPHPを呼び出すようになっていました。コード変更としては1行だけです。
MovableTypeでブログを作っているのですが、アクセスをよくするために全部スタティックのHTMLに書き出しています。そのおかげで、HTMLのファイルの数がえらく多かったわけです。
ウイルスの駆逐方法としては、ホスティングのサイトで、public_htmlフォルダをzipでバックアップしてくれるのがありましたので、それを使いました。ファイルサイズはzipの状態で900GBほどで、ファイル数は22000個ほどありました。
ローカルにダウンロードして、ファイルを展開すると、MacAfee がコードを見つけて全部書き換えてくれました。
きれいになったファイルを、全部サーバーにアップロードしなおしして完了です。
ただ、FFFTPを使っていたのですが、不安定で失敗ばかりしていました。Pair.comのサポートに聞いたところ、以下のがよさそうということで、使ったら、大丈夫でした。結構、いいFTPクライアントです。
http://filezilla-project.org/
zipしてアップロードして、unzipする方法もよかったのですが、そうして、なかったファイルがどうもファイルの所有者がnobodyになったようで、また、ちょっとややこしくなったり。Windowsのローカルの改行コードのまま、サーバーで展開されておかしくなったりもあったようです。
時間はかかりますが、バラバラのファイルで、FTPでアップロードする方がいいように思いました。
Pair.comは、いまどきというぐらいサービス料金が高いですが、サポートはいいです。
他には、FullControl.netというところでWindows 2003/2008のサーバーも借りています。こっちは、リモートデスクトップで使えるので、楽です。
ということで、お騒がせしました。
ありがとうございます。
-Naoki
P.S.
MacAfeeでの置換だけでは不十分でした。結局、全ファイルの置換を確実にする必要がありました。
今回は、Devasというツールを使いました。
ありがとうございます。
-Naoki
2009-08-03
なおき:おはようございます。いつもありがとうございます。
土曜日のアボカドの木の剪定は、いろいろ見直す機会になりました。ありがとうございます。
2階建ての屋根ぐらいの高さのアボカドの木の剪定で、お友達3人+その1人の奥さんと子供2人に手伝っていただきました。
普通に考えても結構、危険な作業ですし、20-30kgもある枝を屋根の上などに落としてしまうと、簡単に壊してしまいます。
ほとんど完了というところで、私の不注意でおがくずをたくさん自分の目に入れてしまったのが、大変でした。
完全に目つぶしとなってしまい。両目とも開けていられなかったです。結局、救急病院にいったわけですが、こういうときはやっぱり感謝するしかないわけですね。
手伝ってくれたお友達にも、まともに挨拶もできませんでしたし、他のあとの予定をキャンセルすることにもなりました。
でも、他の人でなくて自分でよかったというところでした。他の人には、保護ゴーグルをつけるようにといっておいて、自分がしていなかったのもありますけど。
角膜にも傷はつかず、病院で30分ほどかけて目を洗って、1番寝たら、大丈夫になりました。ありがたいことです。
目の大切さが本当によくわかりました。普段、当たり前のことができるありがたみですね。
それで、どうしようもないから、「ありがとう、ありがとう」と呪文のように唱えていて、思ったことがありました。
なんというか感謝というのは、宇宙の礼儀のようなもので、その礼儀を守っている間は、悪意があっても手出しができないように思いました。
そんなものなのでしょうか?
ナムル:目が無事でよかったですな。おっしゃるとおり、大きな怪我にもならず、よかったでしょう。あのアボカドの木にも感謝を忘れずにしてくださいませ。あの木は、本当に心優しい木でございます。
なおき:そうですね。去年も今年も、かなり枝を切りましたけど、一度も切っている私に当たったことも、屋根などにも当たったことがありませんよね。木の意思を感じます。
ナムル:感謝の気持ちというのは、水のようなものとも考えるのもよろしいでしょう。万能のようにいろんな使い方ができるわけです。
圧力鍋のように封じ込めたり、高圧水流で金属を切ったり、トマトを育てたり、飲み水になったりというわけです。
言葉とともに意識というのはそれだけいろんなことができるのです。
目が見えないときのもどかしさはあったでしょうが、他の感覚の必要性も感じられたでしょう。
なおき:そうですね。まぁ、人間の体なんて100年ほどは持つとは言っても、簡単に壊れるものですね。そうならないように、十分に手入れはしたほうがいいとは思いますし、自分の体といっても誰かに借りている気がします。
ナムル:それくらいに思っているのがちょうどよいでしょう。魂が不滅だと言って、肉体をおろそかにしてはもったいないでしょう。磨けはいくらでも光るものです。
なおき:それで、感謝というのは、宇宙の処世術のようなものだったりするのでしょうか?
ナムル:まぁ、そう考えるのもよろしいでしょう。感謝は水、怒りは炎のようなもの、やさしさは太陽ですか。私としてはそのような例えのほうがわかりやすいようにも思います。どれも多すぎれば、持て余してしまいましょう。うまく使えば、道具にもなりましょう。
まずは、決め付けずに自分の心がどう感じるかを確認してみてくだされ。
なおき:そうですか。体験しながら、学んでいくものなのかもしれませんね。ありがとうございます。