問答:アボカドの木の剪定、救急病院、感謝

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2009-08-03

なおき:おはようございます。いつもありがとうございます。

土曜日のアボカドの木の剪定は、いろいろ見直す機会になりました。ありがとうございます。

2階建ての屋根ぐらいの高さのアボカドの木の剪定で、お友達3人+その1人の奥さんと子供2人に手伝っていただきました。

普通に考えても結構、危険な作業ですし、20-30kgもある枝を屋根の上などに落としてしまうと、簡単に壊してしまいます。

ほとんど完了というところで、私の不注意でおがくずをたくさん自分の目に入れてしまったのが、大変でした。

完全に目つぶしとなってしまい。両目とも開けていられなかったです。結局、救急病院にいったわけですが、こういうときはやっぱり感謝するしかないわけですね。

手伝ってくれたお友達にも、まともに挨拶もできませんでしたし、他のあとの予定をキャンセルすることにもなりました。

でも、他の人でなくて自分でよかったというところでした。他の人には、保護ゴーグルをつけるようにといっておいて、自分がしていなかったのもありますけど。

角膜にも傷はつかず、病院で30分ほどかけて目を洗って、1番寝たら、大丈夫になりました。ありがたいことです。

目の大切さが本当によくわかりました。普段、当たり前のことができるありがたみですね。

それで、どうしようもないから、「ありがとう、ありがとう」と呪文のように唱えていて、思ったことがありました。

なんというか感謝というのは、宇宙の礼儀のようなもので、その礼儀を守っている間は、悪意があっても手出しができないように思いました。

そんなものなのでしょうか?

ナムル:目が無事でよかったですな。おっしゃるとおり、大きな怪我にもならず、よかったでしょう。あのアボカドの木にも感謝を忘れずにしてくださいませ。あの木は、本当に心優しい木でございます。

なおき:そうですね。去年も今年も、かなり枝を切りましたけど、一度も切っている私に当たったことも、屋根などにも当たったことがありませんよね。木の意思を感じます。

ナムル:感謝の気持ちというのは、水のようなものとも考えるのもよろしいでしょう。万能のようにいろんな使い方ができるわけです。

圧力鍋のように封じ込めたり、高圧水流で金属を切ったり、トマトを育てたり、飲み水になったりというわけです。

言葉とともに意識というのはそれだけいろんなことができるのです。

目が見えないときのもどかしさはあったでしょうが、他の感覚の必要性も感じられたでしょう。

なおき:そうですね。まぁ、人間の体なんて100年ほどは持つとは言っても、簡単に壊れるものですね。そうならないように、十分に手入れはしたほうがいいとは思いますし、自分の体といっても誰かに借りている気がします。

ナムル:それくらいに思っているのがちょうどよいでしょう。魂が不滅だと言って、肉体をおろそかにしてはもったいないでしょう。磨けはいくらでも光るものです。

なおき:それで、感謝というのは、宇宙の処世術のようなものだったりするのでしょうか?

ナムル:まぁ、そう考えるのもよろしいでしょう。感謝は水、怒りは炎のようなもの、やさしさは太陽ですか。私としてはそのような例えのほうがわかりやすいようにも思います。どれも多すぎれば、持て余してしまいましょう。うまく使えば、道具にもなりましょう。

まずは、決め付けずに自分の心がどう感じるかを確認してみてくだされ。

なおき:そうですか。体験しながら、学んでいくものなのかもしれませんね。ありがとうございます。


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