2009年12月 Archives
おにぎり
玄米ご飯のおいしい炊き方です。
ポトラックなどで、おにぎりを作っていくと、結構、好評でして、炊き方のコツをよく聞かれます。
ふっくら、もっちりというのが、私の好みです。これですと、おにぎりも作りやすいです。
秋田小町
使っているのは、ニジヤのあきたこまち(秋田小町)の有機玄米です。
それに同じくニジヤの有機のもち米の玄米を混ぜて使っています。
適当に混ぜていますが、20%ぐらいのときが多いです。
写真の例では、あきたこまち4合、もち米1合にしています。
水
お水ですが、玄米で6合ぶんの水です、白米だと7合分の水です。この水を大目というのがコツのようです。
それで、炊けたのが、こんな感じです。
ぽつぽつと穴が空いていますが、玄米で上手に炊けるとできるようです。「カニの穴」とかいうそうです。
あきたこまちですが、超短粒種のようで、コシヒカリよりもさらに小さいようです。
そのおかげか、すぐに炊いても大丈夫ですし、白米モードやクイックモードでもおいしく炊き上がります。
炊飯器
炊飯器は、象印のを使っています。玄米モードもありますし、発芽玄米モードもあります。
アメリカの120Vにも対応しているので、変圧器などを使わなくてもいいのも便利です。
炊飯器は、できれば10合炊きを買うのがいいようです。めったに10合も炊くことはありませんが、値段もほとんど変わらないです。
5合炊きので5合を炊くよりも、10合炊きで5合を炊くほうがおいしく炊き上がるようです。
圧力鍋
他には、圧力鍋という選択肢もあります。
圧力鍋も、玄米は上手に炊けますし、おこげも楽しめます。
ただ、保温のことと、発芽玄米などは面倒ですので、炊飯器のほうが楽です。
ダイソー
ついでに、おにぎりはご飯が熱いうちに握るほうが上手にできます。それで少々表面が乾くほうがいいようにも思います。
手で握ると熱いので、ダイソーで買って来たおにぎりの型で作っています。
まとめ
いい炊飯器は、結構、いい値段します。でも、毎日のご飯をおいしく食べるためには、まぁ、いいかなと思います。
以下のが家で使っている炊飯器です。
ありがとうございます。
-Naoki
2009-12-21
なおき:いつも、ありがとうございます。もう、年末ですね。アメリカですと、11月からホリデー気分で、クリスマスでリセットして、年始からスタートが早いです。日本人的にはもう少しゆっくりしたいところですけど。
週末はJeanetteの使っているコンピュータが壊れたようで、その復旧に結局2日かかってしまいました。今回は運良くほとんどのデータを残すことができてよかったです。ただ、データなんてはかないものだと思います。
それを言えれば、お家などもはかないものでしょうね。カリフォルニアですと税金で45%ほどかかりますし、その残り年収の半分ほどをローンで払っている人も少なからずいると思います。
結局、自分のことで一生懸命になりすぎると、他の人へのケアが減りますし、どうしたものかと思います。
ベルガ:そんなものでしょう。時には何が大切なのか、よく考えてみることでしょう。思い出すと言うほうがいいかもしれません。
リセットになるイベントはそのために起こるのです。継続的な新陳代謝で対応できるのが望ましくもありますが、バランスが取れなくなったときには一度リセットするほうが、効率的でしょう。
なおき:そうですね。レイオフも、パソコンが壊れるのも、死ぬのもリセットなのでしょう。それで何が残るかと思うと、やっぱり銀行の残高や不動産とかいうものではない気がします。自分の体も借り物のような気がします。
ベルガ:経験や学んだことは残ります。リセットされても、それらは無意識のうちにあるものです。そうでなくては、不公平でしょう(笑)
また、自分の目に見える世界は、「原因」の世界と考える方がいいでしょう。つまり「結果」を変えられる世界という意味です。
なおき:そうなんですか。結果の世界に思いますよ。過去数千年の積み重ねから、こんな風になってしまってと思います。逆に収支がつかない状態を楽しむというのもあるのでしょう。
ベルガ:そうです。だから、一度、楽しんだ上で、改善の道を探すというのがパターンとも言えます。山登りのようなものです。登山前には頂上は見えているでしょう。麓から登っていっても、どこが頂上かわからない。ただ、方向はわかるでしょう。頂上に立てば、そこが頂上だとわかるのです。
それは大きな目標でしょうが、一歩一歩を楽しむのも、仲間とのおしゃべりや、草葉や紅葉を楽しむのもいいでしょう。日々の生活を楽しまなくては、大きな目標というものも価値が薄れてしますのです。
変化があるのは、当たり前。それを楽しむのが、ひとつのコツともいえるでしょう。何を見て、どう思うのか、どう感動を覚えるのか、それらの体験を通じて、自分というものを再発見するのです。それは課題とも言えるでしょう。
なおき:そうですね。個々それぞれなんでしょう。そうすると、課題となる体験というのも、人それぞれでしょうから、ワクワクする方向などの人の好みもまちまちなのが納得できます。
ベルガ:まずは自分というわけですが、人の中にあって、人間ですので、自分の貢献というものもよく見てみるのにいい時期でしょう。
なおき:そうですね。ありがとうございます。
-Naoki
羽田製茶のお茶で石鹸を作られています。実家も三重県でご縁がありました。
Savon Ecoさまのブログ
http://ecosoapdiary.blog31.fc2.com/
ありがとうございます。
-Naoki
2009-12-09
なおき:いつも、ありがとうございます。
仕事探しの件なのですが、今までの経歴ですと、ほとんどお呼びがかかったところに来ている感じがします。
ただ、それが本当にいいのか、とも思うときがあります。つまり、もっと自分側から選ぶようにしたほうがいいのかという疑問です。
あと、今回は経験とスキルから考えると、3つほど違った専門分野の方向性があるのですが、どれにしようかというのもあります。
職種によっては、人に評価や感謝されるというのが、業界内でもだいぶ異なるように思います。たとえば、システム管理など仕事は、どちらかというと正常に動いているときにはあまり感謝されないと思います。
動かなくなれば、文句が出て、それを解決すれば感謝されるという類のように思います。へんな話ですが、問題が起きることによって、感謝される可能性が高まるというものです。逆に言えば、問題が起こりにくいシステムにすると、それが少なくなるともいえます。
なんとなくですが、あの世もあんまりこちらと変わらず、目立った評価や感謝というものが大切にもされている気がします。どうなんでしょう?
ベルガ:お呼びがかかるというのは、種まきというものがあってのことです。お呼びがかからないというのは、それがされていない、またはそれまでの人間関係を築かれていないということです。土作りのようなものでしょう。
そういった意味で、自分から選択し行動する部分は、やはり必要です。ただ、あまり意識せずに行動している場合も多くあります。
人事を尽くして、天命を待つというのもあるでしょう。お呼びというのは、それくらいに考えるのがいいでしょう。
評価というのは、霊の世界でもあります。かなり異なりますが、基本は同じようなものです。
娘さんの行動を見ていて、大人にもある自我の部分を見ることもあるでしょう。同時に大人には失われたような高尚な部分を見ることもあるでしょう。
評価システムというのは、基本的には自動ですが、マニュアルで上書きもできます。ですので、どうにでもなるとも言えます。上司がいるというよりも、自我といってもいいですが、自分自身のなかにバランサーのような機能があると考えてもいいでしょう。そのバランサーのアルゴリズムが魂の多様性でもあり、質ともいえます。
あなたも言われていたように、ワクワクするほうを選ぶというのが一番簡単でしょう。うれしい、たのしい、しあわせとも言っていましたが、どうも自分自身の正直な部分が見えなくなることもあるようです。基準は1つに絞るほうが、わかりやすいかもしれません。
自分の興味のあることであれば、いくらでも勉強もするでしょうし、他の人のためにもなるでしょう。あまり評価やスコアカードを気にすると、ゲームを楽しめなります。楽しんで力を出し切るようなプレイのほうが、ゲームの後での達成感もあるでしょう。観客もそのほうが見ていて気持ちがいいものです。それが1つの評価にもなります。
なおき:そうですね。確かにワクワクするほうを選ぶというのも、単純なようで結構、奥が深いと思います。人生の経験によっても違います。
若いときに、どうもこっちにワクワクすると思って選んだことは、今となってはもう他人のように、なぜそれにワクワクしたのかというのもよくわからないです。
選んだこと自体は、全て結果オーライでよかったとは思います。
そうすると今の時点で、自分でワクワクすることというのは、やっぱり今の自分にしかわからないのでしょう。
ベルガ:おそらく、そうでしょう。ただ、認識されているエリア外のことには、あまり気がつきにくいでしょうから、今、興味があるものをとことん調べてみるのと同時に、普段してみないようなことも試してみるのがいいでしょう。
それはお子さんも一緒に楽しめるでしょうから、一石二鳥ですよ。
なおき:そうですね。まぁ、猶予期間が考え方によっては2~8ヶ月ありますので、そうしてみます。ありがとうございます。
===
自動化されてなかなか感謝されないというのは、健康のようなものかもしれません。
あと欲しいものは、人にあげるとまわりまわって帰って来る。という法則から見ると、感謝されたければ、他の人に感謝するというのが、遠いようで近道なのでしょう。
ありがとうございます。