2009年7月 Archives
2009-07-25
なおき:おはようございます。いつもありがとうございます。
インターネットのお話ですけど、個人の情報力というのが強化されるのはいいことのようですが、逆に匿名性とか仮の人格的なものを作ってしまいやすいように思います。
それはそれで面白いのですが、私自身の課題にも感じている人格の統一というのから考えると、あまりよくない気もします。
それはネットに始まったことではなくて、都会の生活や引越しなどが頻繁になってからのように思います。隣の人がどんな人か知らないで生活できるわけですし、それが当たり前になっている場合も多いようです。私の場合はそうでした。
それをプライバシーと呼ぶのも変な気もします。それが年代が進んでいくと、私の見た感じでは、なんとなくですが、寂しさを漂わせている老人の人が多いように思います。
本人に関しては、本人の学びがあるのでしょうから、そういうものだととらえています。ただ、自分が勝手に思うことですが、気の毒にも思います。
そうするとそうならないほうが幸せにも思います。自分も含めて、家族、友人などには幸せという選択がいいと思います。
おそらく、「人」という漢字のように、自分で独立できるような力を持ちながら、他を支えることができるのがいいのかなと思います。
とりとめない感じもありますが、なにかアドバイスなどありますでしょうか?
ガタル:自分の未来は選べる。それは行動によって変わるということである。
逆に未来は決まっているとも言える。それは、そのままの状態を継続すれば、その未来が決定しつつあるというものである。
どちらでもよいというのは、ハイヤーセルフ側の意見である。それは情報収集としての意味でもある。
肉体と自我を持っている上では、自分を主人公とした物語の途中と考えるのがよかろう。
行動によって変わるイベントもあるだろうし、変わらぬイベントもあるであろう。
物語のなかで、命ある主人公は勝手に動き出す。それは赤子を見ているようなものかもしれぬ。実のところ、作者と主人公は同じものである。
「自分が求めるものを、他に与えよ(そうすれば自分にも与えられる)」、「情けは他の人のためならず(情けは自分のため)」といった言葉にも、法則があるのが見えよう。
なおき:そうですね。小林正観さんも、「宇宙は律儀な2倍返し」とか言っていましたよね。
学校では道徳なんてあまり重要じゃないように扱われていると思いますが、考え方というのはやっぱり重要ですよね。
親が子供に体験を持って教えてあげることなので、うまくできるようにしてみます。
ありがとうございます。
なおき:麗花さんも1歳となりました。お誕生会には43人も来ていただきました。ありがとうございます。
普通のお家に入る人数ではなかったように思います。ごった返していて、来てくれた人にもあまりちゃんと挨拶をできなかった人もたくさんいました。
でも、こんなに他の人に気にしてもらえて、ありがたいことです。
パーティーとあと最近の観察で気がついたことです。
宴会もパーティーもお祭りもそうなのですが、人が集まることで、ある種の傾向が出てくるようです。
話しながらとかになるからか、食べ物や飲み物にすごく無駄が出てしまいます。いつももったいないと思うので、できるだけポトラックのように持ち寄りにしていますが、やはり傾向として、食べ物に対する感謝が減るように思います。
これを一般化すると、人が集まると人間の肉体の物理的な特性が出やすくなってしまうように思います。あんまりよくない傾向に思います。なんというか平均化される気がします。烏合の衆という感じです。
さらに一般化して、グループ化や組織化というものを見ると、平均化というものを本来の姿でないと気がつく人がいるように思います。そういう人は、衝突したり、変な感じに目立とうとするわけです。責任感のある人がリーダーとなろうとするのもそうです。
短絡的かもしれませんが、グループ化というもの自体あまりよくないように思います。
そうすると、逆に個人として独立し、自分の時間や空間やペースで物事を進めるほうが、人間の魂とか心といった、いい部分がもっと引き出せるように思います。
個人と個人と関係ややり取りというものは大切に思います。だから、どうだということはないのですけど。どうなんでしょう?
ベルガ:振り子のようなものとも言えるでしょう。無理をすれば、それだけ原点に戻ろうとする力が強くなります。ただ、なかなか原点には戻らず、いつまでも振れているものです。それが人間のひとつの特性でもあります。
発見したと思えるものは一つの経験として、執着しないことです。下手に執着すると物事がありのままに見えなくなります。
そのような経験もひとつの指針とはなりますし、未来を作る原動力にもなるでしょう。ただ、人によってステージが違いますので、一般論は必要ないでしょう。ある傾向の1つとして考えるぐらいでよろしいのです。
なおき:そうなんですかね。パーティーの後であまったものを、もったいないと思って普段食べないものまで食べたせいか、具合もよろしくなくて下痢もしてしまいました。
体調を崩したせいなのか、夢のなかでどこに行ったのが覚えていませんが、起きたときになんというかひどいホームシックのような気分になりましたよ。滅多にないことなのでよく覚えています。
特に実家とか日本に帰りたいというより、なんというかこの世に対して、いつまでここにいなければならないのかというような気分でした。
ベルガ:詳しくは申しますまい。それよりも、ホームシックというのは幻影のようなものです。都合よく覚えていた過去を美化するものでもあります。それを心のよりどころとするのも、またよろしいでしょうし、理想とするのもよろしいでしょう。
ただ、自分にできることはといえば、それに追いすがるのでもなく、現実逃避をすることでもなく、自分自身が他の人に対して、ホームや故郷といったものを提供することです。
自分には理想がある、それをあなたに提供したいというわけです。そうすることで、自分自身のホームというものができるのです。
なおき:そうですか。そうですね。逃避してもしょうがないですよね。
昔のアニメのせりふを思い出しましたよ。
「バイストン・ウェルの物語を覚えているものは,幸せである」
ありがとうございます。
2009-07-14
なおき:自我と自己認識というのは、似ているようですが、やはり違うものなのでしょうか?
自己認識というのは、知覚できることなので、なんとなく判りそうな気がします。
自我やエゴも、形のないものです。どちらかというと、本人よりも周りの人からの観察で認識されるようにも思います。
この間の話であれば、自我はATフィールドのような拒絶の壁ともなれば、雲のようにも混じりつつ遠めには確かに境界のあるようなものとなるのかもしれません。
雲というか幽霊のようにも思えるかもしれないです。
スキーやスノボーとかでも、自分の装備を自分と感じるときもあります。バイクや車もそうですし、ゲームなどの画面上のキャラクターもそう思うときもあります。
一軒家に住むようになってからは、犬猫の縄張り意識のように、境界というのも以前よりはっきり意識するようにもなりました。作られた意識とも思います。
だから、どうということはないのですが、なんとなく気になっています。
ナムル:この間、絵を描いておったように、知覚というのは情報交換でございますな。
意識しなくても、視界や匂いや音としてとらえることが第一段階。
認識することが、第二段階。
意識を向けることやしゃべることで、第三段階。
自分の意識のフィードバックが認識できること、これが第四段階ですな。
どの段階であっても、情報は入って来ております。望まぬとも入ってくるので、ございます。
その情報に対して、どのように反応するか、それが自我ともいえるでしょう。
場合によっては、反射的な防御反応でもあり、自分の意思と同じものでもありましょう。
まぁ、人間という物理的なハードウェアに基いたファームウェアのようなものともいえましょう。
その本質は、善とはいえるものではないかもしれませぬ。
その上に、精神や良心や魂などというもの乗っかることで、はじめて善とも言える方向性が見えてくるともいえましょう。
それらがうまく繋がれば、上からファームウェアとも言える自我のアップデートが可能でもあります。それができると、肉体といったものものの本来の性能を引き出すことができるようになります。
つまり、自我というものが大きな制限でもあり、大切な部品でもあるのです。
なおき:そうですか。ファームウェアのアップデートに失敗すると、壊れたりしますよ。
ナムル:そうでございますな。それなりのリスクは伴いますし、望まぬとも自動的にアップデートもされます。
お子さんなどそうでしょう。だんだん、自我が芽生え、意思表示もできるようになってきているでしょう。少しずつ選びながらインストールしていると思ってもよろしいでしょう。
この間のガンの御仁もファームウェアのアップデート中ともいえるでしょう。正念場でもありますが、乗り越えれば、もう一段違った世界を体験できるでしょう。
まぁ、あんまり気にすることもありますまい。
皆さん方は、小学校の小学生のようなものでございます。ただ、学年がわからぬようになっています。1年生も6年生もごちゃまぜというものです。
特に先生のような人は、すぐにわかるでしょう。
なおき:まぁ、そうでしょうね。自分の未熟さを認識すると、なんとなく小学生ぐらいという気がしますよ。中学生だったら、小学生の記憶もありそうですけど、ありませんし。
ナムル:よくできたシステムですが、適当でおおざっぱなところがたくさんあります。だからこそ、いろんな遊び方ができるというものです。宝探しも、探検も、ごっこ遊びもできるというものです。
法則のようなものは、制限ともなりますが、ゲームの戦略ともなりましょう。
まぁ、乗せられたと思って楽しむのもよろしいでしょう。
なおき:そんなものなんでしょうかね。ありがとうございます。
上宮さんより、パズルとすると、ピースをそろえないといけないということと、順番はあまり関係ないのだろうというコメントをいただきました。確かにそんな感じがします。
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2009-07-13
なおき:昨日はいろいろありました。
外でペンキ塗りの準備をしていたら、ハチドリが来て服に止まってくれたのは嬉しかったです。赤い服なので、花と勘違いしたようですけど。
あと、お友達のうちでアプリコット狩りをさせていただいていて、はさみを蹴ってしまい怪我をしたのは、まぁ、驚きでした。体なんて、本当に簡単に傷ついてしまうものですね。大したことなくて、よかったです。
個人的なところでは、2007年の税金の監査の通知が来たのと、長くやっていた糖質栄養素のビジネスの解雇通知ですね。これもお試しでしょうか?
ベルガ:まぁ、お試しととらえてもよろしいですが、確率的なものがあがっていると考えてもいいでしょう。
つまり国が財政困難になれば、そのストレスから回収できるお金を増やそうとするわけです。
会社も、訴訟問題などでギスギスしたものが社風となれば、そのストレスのはけ口を契約販売員のような人に来てもおかしくはないでしょう。
そのような傾向があれば確率というのも高くなるというものです。言い換えれば、清算とも言えるでしょう。
なおき:そうですね。ストレスやコンプレックスから来るいじめのようにも思いますけどね。
ベルガ:それもあります。自然現象というよりは、肉体や自我をベースにした生理現象ともいえるでしょう。受ける側としては、鍛えあげられる、いい機会ともいえましょう。
なおき:そうですね。ただ、あんまり感情的にも感傷的にもならないですし、少々面倒な手続きがあるので時間がかかりますけど、もう十分で卒業の時期かとも思います。
ベルガ:そう思えば固執することもないでしょう。同じことを繰り返していても、新たに得られるものは少なくなってきます。変化を吉とすれば、新たな道が見えるでしょう。
なおき:そうですね。まぁ、ただ個人の経験にはいいと思いますけど、全体的な改善にはあまり貢献もしない気がします。麗花さんももうすぐ1歳ですので、20歳までが子育てとして、5%ほど完了という気がします。子供と20-40歳年齢が違うとして、世の中が少しずつでもよくなればと思いますよ。
ベルガ:100年前と今の小学校を比べるようなものでしょう。近代化は進み、教える内容も変わっているけれども、小学校というものは同じです。
この間読んでいたマンガにも書いてあったでしょう。大河のようなもので、波や水は1瞬としても同じではなく、繰り返すことなくとも、大河は同じように見えるというものです。
なおき:そうですね。いろいろ考えてみるのも面白いですが、条件をつけなければたいていのことは楽しめる気がします。だから、なんなのかもよくわかりませんし、自我に与えられたゲームなのでしょう。
ベルガ:ゲームというより、パズルと考えるのもいいでしょう。時間はかかりますが、解けるパズルだと考えれば知りたいと思っていることも徐々に見えてくるでしょう。
なおき:そうですか。ありがとうございます。
上宮さんより、以下のようなコメントをいただきました。
「エゴとは変幻自在・・・ATフィールドにもなり得るし霞のようにまとう事も出来る、名言だと思います。 自我という中心磁場があって、その磁場の変容によって如何様にも変われるという示唆ですね。」
なるほどと思いました。また、興味深いエリアが増えました。
ありがとうございます。
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2009-07-07
なおき:七夕ですね。去年、植えた笹がよく育っているので、来年は七夕の笹作りができるかもしれないです。
不動産物件のほうも、自分たちようでなくお客さまと一緒に見に行ったりしているのも、今年だけで50-80件ほどのように思います。
その後で、具合がよくなくなって、寝込んでしまったことが今年だけで7,8回ほどあるように思います。早寝すれば、次の日の朝には、もう大丈夫なんですけど。
新品のカーペットや工事で使った薬品なのか、殺虫剤なのか、住んでいる人の感情や思念的なものなのか、憑依なのか、よくわかりませんけど。
あんまりよくないように思うので、もう少し防御したいのですが、どうしたものでしょうか?
ガタル:赤子やペットのようにしゃべらぬものを相手にしていれば、観察眼や相手の感情を受け取る力は磨かれよう。
それは良し悪しともいえよう。望まぬものまで受信してしてしまうのでな。
いうなればメールアドレスを公開して、多くのメールやSPAMメールも受信するようになっているような状態である。
SPAMフィルターのような、防御機能を作るのもよかろう。それを望むのであれば、何を受け取っているのかを解析することも必要になろう。
つまり、味見や毒見のようなものである。飲み物や食べ物でも、味わうことも、選ぶことも大切であろう。なにも気にせず、口に入れていれば消化不良や具合を壊しても仕方があるまい。
自分自身のものと外部からのものを見分け、感じ分けることが、今の課題かもしれぬな。
その先にあるのは、あたりまえと思えることに対する感謝であろう。それを先に身につけても、防御力はあがろう。
どちらが先でも構わぬ。人助けは、自分が自立してこそできるものである。まずは気に当てられて寝込むようなのは、鍛えなおすのがよかろう。
なおき:そうですね。なんとなく、言語的な介入はシャットアウトできるようなってきたと思っていたのですけど、非言語的な感情のようなものは、素通りで受けているようにも思います。
ちょっと鍛えるようにしてみます。自他の境界なんてATフィールドのようなものでしょうか?
ガタル:雲のような空気の塊のようなものとイメージするのもよかろう。望んでも望まなくても、境界はあいまいで融合しつつ、塊というものが存在している。
空に浮かぶ雲も、大気から目に見える雲のようになり、条件が変わればまた透明な水蒸気となろう。お前さんがたの自我やエゴというのも雲のようなものともいえよう。
なにもないところから現れて、また消えていくものである。魂というのは、その雲に乗る孫悟空のようなものである。
なおき:そうですか。とらえどころのない話の気もしますけど、心に留めておきます。ありがとうございます。
2009-07-06
なおき:麗花さんもハイハイが上手になって、起きている間はずっと動き回わって遊ぶようになりました。
今までは不動産物件を見に行くのにずっと連れまわしていましたが、カーシート載せてばっかりになるので、気の毒に思います。これからの課題になってきました。
あとは教育のほうです。どうしたものかといつも思います。無理なくできるだけで十分というのが基本ですが、選択肢が多ければ自由とも言えますのでいいのですけど。
教育というのはひとつは能力や知識とされるものだと思いますが、結局それをどのように使うかというのは、価値観のように思います。その価値観は、宗教的なものやTVやゲーム漬けになどにならなければ、親や家族の影響が一番大きいように思います。
どうするのがよろしいでしょうか?
ベリエール:お久しぶりです。1年前にはなかったような課題ですわね。
それだけ真剣に考えなければいけないというのは、チャレンジとしていい経験になるでしょう。
複数の仮面のような人格を持ってみても、この間のガンのお友達や、お友達のヨットスクールの体験などでも、集中しなければいけないときには1つの人格となるのです。
また全身全霊で人生を、この一瞬を楽しむという場合に同じことです。余計なことに変に気を回す必要もないのです。
子供は親の背中を見て育つともいうでしょう。子育てもそうですが、自分自身の仕事や課題というものにも大切に取り組むのがいいでしょう。
一生の間で、自分が子供としている期間も、子育てをする期間もそれほど長くはないのです。特別な期間として、十分に楽しむのがよろしいでしょう。
楽しんでも楽しまなくても、するべきことは同じなのです。ただし、得られる結果は異なるでしょう。どちらが得になるかはお分かりでしょう。
選択肢を選べるときには、そのときに選べる最善のものを選ぶのがよろしいでしょう。バランスを考えることも必要でしょうが、必要のない課題を選ぶ必要はないのです。
なおき:そうですね。確かに自分でもう卒業と思うものや、しなくても必要のなさそうなものはありますから。固執しないほうがいいのでしょう。
ありがとうございます。
今までは、元のオーナーが物件とローンを手放すというだけでしたが、銀行側がオーナーに対して2万ドル程度の借金を残すことが条件になったようです。
つまり、オーナーは物件を手放した後に、さらに借金が残るとなります。
最後のプロセスで出てくる書類のようで、それにサインをしないと、差し押さえとなります。
関わっていた物件の1つがそうなって、半年以上かけていた手間が無報償となりました。買い手のほうも物件の検査などで$600ほどかかっていた分が無駄となりました。
残ったのは経験です。その経験からすると、ショートセールはお薦めしないとなります。
以前に比べて、物件のコストパフォーマンスがよくなくなってきています。
もともと、物件はメンテナンスがされていなかったり、壊されたりしていることも多いので、後で手がかかります。この部分は数千ドル分です。
AS IS (そのままの売り)ということなので、シロアリなどの処理も全て買い手側にあります。これも数千ドル分です。
さらに買い手側の手数料が、通常の売買よりも高くなることがあります。これも数千ドル分です。
上記の合計で、1万ドルほど余分にコストがかかると考えてもよいです。
ただし、物件自体が市場価格(market price)より、数万ドル安く買えれば、それでもお得という感じでした。
現在では、普通の物件が市場価格に合わせて、差し押さえ物件と同じ価格で売られています。
銀行差し押さえも、あまりお薦めできないといえます。
特には変化はないのですが、値下がりするところはかなり落ちています。
私たちが以前住んでいて、今貸している1ベッドルームのコンドは、2002年あたりに$178k で買って、2005-2006年あたりでは$260kほどでしたが、現在では$100k 以下で売られています。
投資物件として買うには、お薦めかもしれませんが、ローンの条件がよくなくなっています。
ここ数ヶ月の話ですが、同じ条件であるにもかかわらず、ローンで利率が割高にされるようになりました。
銀行側の言い分によると、現在差し押さえとなっている物件の多くが、コンドやタウンハウスであるからということだそうです。
購入希望の多いエリアや、誰もがいいなぁと思うような物件は、非常に早く売れています。早くというのは1週間以内で複数のオファーが集まり、カウンターオファーの連絡もないまま決まることがおおいということです。
真剣に探すのであれば、物件の更新情報をメールで配信するように設定して、すぐにオファーを書ける準備をして、物件探しをするのがいいと思います。
いろいろ状況が変わりますので、不動産エージェントの人と密に連絡を取るのがいいと思います。
お手伝いをご希望の方は、お気軽にご連絡くださいませ。
ありがとうございます。