「宇宙の基本法則」とは? 勘違いを生みやすい概念。
「アミ 小さな宇宙人」
最近、気に入ってよく使っていた言葉が、「宇宙の基本法則」です。この言葉は、 「アミ 小さな宇宙人」という本の中で書かれていました。
何だと思います?
ずばり、「愛」だそうです。これが、非常に勘違いを生みやすい概念です。
間違うと、いろんなおかしな影響が出てしまいます。
実際、私もよくわからないのですが、それなりに理解したことをまとめてみました。
でも、「宇宙の基本法則」でもありますので、 ちゃんと理解できるといいことがたくさん起きるようになりそうです。
実は、今日、「馬鹿なことをしてしまったかなぁ」という反省もあって、書いています。
おかしな影響
たとえば、私(男性)が、目の前に来た女性に「愛しています」なんていうと、 思ってもいないことになることがあります。
男性に言っても、またおかしなことになる可能性もあります。ちなみにシリコンバレーは、サンフランシスコにも近いことがあって、 ゲイの人がたくさんいます。
似たような言葉で、もうちょっと弱い感じの「好きです」でも同様です。
つまり、時と場所をわきまえて使わないといけない特別な言葉として扱われています。
ついてる、うれしい、ありがとう、と言った言葉と扱いが違います。
小林正観さんの本のどこかでも、あんまり「愛」について言う人は、 あんまり信用できないというようなことが書いてありました。(勘違いかもしれません)
それで、私もそうなのかなぁ、と思って、よくわからないことだから、避けて後回しにしていました。
「究極の感謝=究極の愛」なのかなと思って、そのうちにわかるかなと思っていました。
極められるのか?
それで1年ほど経つわけですが、「究極の感謝」というのは、簡単ではないと気がつきました。
そうすると、その究極にいつ到達できるかわからないです。
それで山登りを考えるように、北壁がだめなら、南壁でも、西でも東でもいいかな、と思ったわけです。
英語の訳
「愛」という言葉は、江戸時代の終わりごろに英語が入ってきた頃、Love の翻訳として使われ始めたそうです。
だから、あまり日本人にはなじみの少ない言葉だったようです。
いまでも、そうなのかもしれません。
お釈迦さま
お釈迦さまは、30代で悟ってから、死ぬまでにいろんな教えをお話しました。
主には三蔵という3つのカテゴリに分かれるそうです。経と律と論というものだそうです。
私はアマチュアなので、詳しくないのですが、キリスト教での「愛」 の教えというのがあんまり入っていないそうです。
日本人の人は、なんだかんだで、仏教の教えの影響をたくさん受けていますので、理解しにくい概念なのかもしれません。
イエスさま
イエスさまのエピソードを読んでみると、いろんな感情表現がでてきます。
だから、キリスト教の影響を受けている人は、感情表現が豊かなのかなとも思っていました。
「愛」の教えに関しては、キリスト教の人は詳しいようです。
それで教会などに行けば、わかるのかなと思っていったのですが、あまりよくわかりませんでした。
飯田史彦さん
「愛の論理」という本を書かれています。
飯田さんは、人を愛せないと思うようなトラウマというかコンプレックスのようなのが、過去にあったそうです。それで、 研究してみようと思ったようです。
実は、私も何度も「あなたは感情がないのね」ということを、何度も言われたことがあります。それで、 「私の前世はロボットだったのかなぁ。でも、わからないからしょうがないや」と思っていました。
今考えてみると、それほど深刻な問題でもないのに泣き言を言っている人の話を、ニコニコして聞いていたのは観音様みたいで、 よかったんじゃないかと勝手にいいように解釈もしています。
乗り越えられない問題は来ない。必要なことが必要なだけしか起きないそうですから。
依存性
飯田さんの本で書かれていたのは、「依存性」のことがありました。 タバコやお酒や麻薬などの依存性とは違います。
経済的依存などです。
旦那さんが仕事をしていて、奥さんが主婦ということは、よくあります。
奥さんが、旦那さんの収入に頼るのは普通のことですが、そのお金を愛しているというのは、違うということだそうです。
また、自分が旦那さんに経済依存しているから、別の形で、自分に依存してもらおうというのも、よくない方向のようです。
本来ならば、お互いに自立した大人が、「必要性や依存性に関わらず、一緒にいることを選択する」 というのが、やっぱり望ましいようです。
一緒にいて待つこと
相手の人が、意識とか人格とか魂的に未熟だったとしましょう。
それでも、その成長を見守って一緒にいてあげるということ自体も、「愛」だそうです。
これは、親が子供に対する「愛」を考えてみると、理解しやすいと思います。
つまり、「経済的自立」というのは、親が子供にあげられるプレゼントでも、 最高のものかと思います。
そう考えるならば、上記の「相手を自分に依存させてしまおう」という考えは、「愛」から離れたものになると思います。
思い出すためのヒント
私にはまだ子供がいないので、実体験ではないのですが、親が子供に対する愛というのは、自分の命もささげられる 「無条件」の愛だと聞きます。
そうでない人もいると思いますが、仮にそうだとしましょう。
そうすると、「あ~、こんな愛というのがあったんだ」と思うことが、 出産から子育ての途中にあることでしょう。
小林正観さんの本のどれかに書いてあったことですが、実はこの感情は、 神さまが私たちのそれぞれの人間に与えてくれている愛というものを、思い出すために作られているそうです。
「あ~、すごいなぁ、まるで神さまみたい」と思いました。
つまり、子供が授かったり、育てたりということは、とっても魂のレベルアップになるヒントがあるというわけです。
もらうことから、あげることへ
宇宙の基本法則が「愛」だとして、いただいている私たちは 「感謝」していればいいわけです。
でも、いくらでもあるので、いくらでも来てしまいます。
あげれば、あげるほど、来るそうです。水道の蛇口を、あければあけるほど、出るようなものだそうです。
だから、「感謝」を覚えたら、「感謝されることをする」 つまり「愛をあげる」ということをし始めるといいと思います。
つまり、悟りというのは、「素晴らしい愛をもらっている」ことを思い出すようなもののようです。
でも、そうしたら、それを他の人や動物や植物や物にもあげることの「実践」 をずっとしていくことが重要のようです。
お釈迦さまも、イエスさまも、実践をする人でした。マザーテレサもそうです。
悟っておしまいだったら、生まれてきた意味があまりないのです。
実践して得られる体験を味わうことが、メインディッシュのようです。
限定解除:条件を外そう
魂のレベルの3段階です。
1)Take & Take
もらうだけ、うばいとる、くれくれ状態です。子供はともかく、現在の大人の社会では通用しないことです。子供はそのかわいさで、
2歳までに親孝行を一生分してしまうという話もあります。
2)Give & Take
ビジネスは、Give & Takeだといいます。つまり2段階目の話です。何かをくれたら、という条件付です。
社会の仕組みなのかも知れませんが、私たちは望むのなら、もう一つ上の段階に進めるのです。
3)Give&Give
これは、寺山心一翁さんの本だかセミナーで聞いたことです。そのころは、なんのことかさっぱりわかりませんでした。
無条件の愛とはこれのようです。
子育てでは、実は3段階目であるべきのようです。
子供が1段階目なんですから、親は3段階目でなければ、釣り合いが取れません。
なのに、親が2段目であると、子供に対して条件付の愛というのになってしまいます。
つまり、「学校の成績がよくなければ」、「かけっこで1番にならなければ」、「いい大学に入らなければ」、 という期待や条件がなければ、愛情をあげないという子育てになってしまうのです。
そのような子供は、2段階目で鍛え上げられていますから、成績はよくなって、社会でも出世が上手になります。
3段階目の経験がないから、やさしくない人になってしまい、子育ての時点でも2段階目の子育てしかできなくなってしまいます。
3段階目ですが、あるがままに育てるのがいいようです。あげたいから、あげる、それだけで十分というわけです。
詳しくは、正観さんの「天才たちの共通項」という本がお薦めです。 出版記念の講演のCDもとてもお薦めです。
ついでに、子育てですが、3段階目のGive&Giveだからといっても、単に甘やかして育てるとこととは違います。
本人に関することなら、あるがままでいいのですが、他人に関することであれば、しつけというのは必要になります。
ある意味、愛には厳しい一面もあるということです。実は、かなり厳しいのかもしれません。
基本法則と派生の法則
厳しさということに関してです。
私たちはみんな、素晴らしい愛で見守ってもらっているとしましょう。ただし、自由意志があります。魂の目的は、体験すること、 味わうことだとしましょう。
そうすると、「いいことをしたら、どんな体験をするのが一番か」、 「よくないことをしたら、どんな体験をするのが一番か」を考えて見ましょう。
おそらく、「人にしたことが、自分に返ってくる」という、因果の法則、原因と結果の法則、 ブーメランの法則、「まいた種は自分で刈り取る」という法則がでてくると思います。
それは、一生の間にはできなければ、過去の人生から来たり、未来の人生で返ってくるのかもしれません。
逆に考えれば、これ以外に本当に体験する方法はないとも言えます。
また、学ぶまでいくらでもいくつの人生を超えても、見守ってもらっているというのは、非常に大きな愛のようです。
しつけのような厳しさもあるわけです。
でも、いいことをすれば、いいことが倍になって返ってくるという、単純でありがたい法則をなんですから、さっさと学んで、 実践すればいいだけです。
簡単なことです。
何をしているかわからない、おろかな人
これは、まさに私自身のことなんです。 この間の悪夢もそうでした。
行動による影響力を考えてみたらわかることなのに、考えないで行動するというのは、どこか抜けています。
実は、今日も、もう少しよく考えて行動すべきだったと思うことがありました。
この場合の、原因と結果の法則はどうなるのでしょう?
わかっていて、いいことやよくないことをした場合は、どうなるのか?
わかっていなくて、いいことやよくないことをした場合、どうなるのか?
おそらく、同じでなくても、いいことはいいこと、よくないことはよくないことをしたという結果になるでしょう。
つまり、知らなかった、知らないふりをしていたというのは、理由にはならないようです。
公平か不公平か?
仏教には反省やお札というのがありますし、キリスト教には懺悔や免罪符のようなものがあります。
シルバーバーチに関するウェブサイトを見ていて、なるほどと思ったことです。
一生、よくないことを続けてきて、最後、死ぬ前に、非常な反省と懺悔をしたとしましょう。
そうすれば、そのブーメランの結果は返って来なくなるのでしょうか?
一生、いいことを続けてきた人と、一緒なのでしょうか?
ここは、引用にします。
牧師 「では、悪のかぎりを尽くした人間が今まさに死にかかっているとしたら、その償いをすべきであることを、 その人間にどう説いてやれば良いのでしょうか」
「シルバーバーチがこう言っていたと、その人に伝えてください。もしもその人が真の人間、 つまり幾ばくかでも神の心を宿していると自分で思うのなら、それまでの過ちを正したいという気持になれるはずです。 自分の犯した過ちの報いから逃れたいという気持がどこかにあるとしたら、その人はもはや人間ではない、ただの臆病者だと。 そう伝えてください」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/kataru/kata-20s.htm
まぁ、宇宙には、バランス機構があるわけです。バランスはどこかでとられる必要はあるのでしょう。
あとは、本人が受け入れるか、嫌がるだけの臆病者になるかですね。
後悔をするよりも、これからの行動で償うほうが、神さまはよろこんでくれるようです。
わけがわからなくても、感謝
結局、自分に来たものは、「なんで?」と問いかけても答えが見つからないことがあるわけです。
疑問のようであっても、実は、否定しているわけです。
上記は省略した疑問形ですが、元の疑問文は、「この状況が気に入らないんです。なぜ、自分なのですか?なぜ、今なのですか?」 といった意味です。
でも、答えが見つかるかどうかわからないです。それなら、原因の答え探しはやめましょう。
代わりに「ありがとう」と感謝してみましょう。これに関しては、答え探しをしてもいいですよ。
たとえば、人にひどいことを言われたけれども、おかげで頑張ることができて成長することができた、でもいいし。
「そうか、たしかに自分にそういうところがあるかもしれない」と、自分を振り返る機会を与えてくれたでもいいと思います。
探せば、感謝の理由は見つかりますよ。普段使っていない脳の部分を使うので、頭もよくなります。
それでも、感謝の理由が見つからなかったら、「もう理由もわからないぐらい、神さまに感謝してます」にしてしまいましょう。
まとめ
「宇宙の基本法則」は、「愛」ということです。
ただし、愛情、愛欲、とかいったものと別に考えるのがよろしいようです。
ブーメランのの法則など、基本法則から派生したもののようです。
他にももっといろいろあるようです。
ただし、全ては基本法則から成り立っているようです。
そのためには、常に「宇宙の基本法則」を考えているといいようです。
「それは、愛なのか、それともエゴなのか」という問いかけが自分の中にあるといいようです。責任感や正義感は、 エゴに結構結びつきやすいので、注意が必要のようです。
問題を解決しようと思ったときに、心がポッとあったかくなるような愛のあるような解決方法を見つけると、 実は神さまに味方してもらっているのかもしれませんよ。
ありがとうございます。