1999年の大予言、2012年の黙示録、ちびまる子ちゃん

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雑感でございます。

ノストラダムスの大予言

「1999年の空から恐怖の大王が・・・」という予言がありました。コンピューターの2000年問題もあって、 なにかが起こってしまうのではないかという雰囲気がずっとありました。

実際、いまでもそうですが、核兵器などもたくさんあったわけで、なにか間違いや気まぐれで世界が壊れてしまう可能性も十分ありました。

ノストラダムスのことを調べてみると、まともというか天才的な人だったわけで、信用度も高かったわけです。

2000年問題

文化的に年号を2桁で扱っているアメリカで作られたコンピューターが、 初めての4桁の年号の変化のときに何がおきるかという問題でした。

私のように20年弱、業界にいますと、90年代に書いていたプログラムで2桁で年号を処理しているものも結構ありました。

ソフトウェアの開発は、トランプの塔を建てていくようなもので、建てた後でもちょっとの変更で全部崩れてしまう可能性のあるものです。 そうしないようにするのが、開発のテクニックとかノウハウになります。

スペースシャトルのチャレンジャー号が爆発したのも、発射のタイマーが発射後もカウントし続けて、オーバーフローになって、 マイナスの数字になったことが原因だそうです。

普通のプログラムでは、1行分のコードです。それが抜けていただけです。

何が起きたのか

結局、大きなことはなにも起きなかったわけです。後からこじつけをしてみると、9・11のテロとかあるのかもしれません。

2000年問題でシステムのアップグレードが非常に多くの発注になり、 インターネットのドットコムのブームと同時に好景気となりました。

それで、全くのデマだったのかというと、そうでもないように思います。

2000年問題は、人為的に防ぐことができた例だと思います。本当に何にもしていなければ、飛行機が落ちたり、 原発がおかしくなったり、ミサイルが勝手に発射されたりする可能性は十分にありました。

大予言のほうは、回避されたのか、延期されたのか、よくわかりません。ただ、過去において未来のビジョンが見えたということは、 選択可能なオプションの1つであった可能性は十分あります。

選択を変えることができるのは、行動によってのみです。

2012年

その世紀末思想を引きずってか、延期と考えてか、マヤ暦のカレンダーのリセットと重なってか、ホピ族の予言と重ねてか、 2012年に同じようなことが起きるという予言がいろいろ出ています。

1999年と違うのは、生き残った人は地上の天国にいけるとか、次元上昇するとか、アセンション宗教ともいえるような、 お話がとびかっています。

この点において、バランスを崩しているような人が結構いるように思います。

まぁ、私もバランスを崩しかけて、「おぉ」と気がついたようなところもありました。(笑)

結論から言うと、「そうなってもいい」し、 「そうならなくてもいい」。というような執着のないバランスのよいスタンスが必要だと思います。

ならなくても、いいけど、なったらいいな」ぐらいはいいかと思いますが、 「絶対になる」とか、「ならなければ、困る」というのは、 どう考えてもおかしいです。

借金返済のために、有り金全部を万馬券につっこむようなものです。

ちびまる子ちゃん

20年ほど前に、1999年の予言を知ったまる子ちゃんが、いきなり、ぐうたらな人生を送り始めるというエピソードがありました。

お姉さんに、「もし、なにも起きなかったら、どうするの?」と言われ、 ハッと我に返るというお話でした。

何も起きなかったら、ただのおかしい人です。

1999年には、地球規模の大きなことは起きませんでした。

2012年は、どうして違うと言えるのか?

バイク通勤

ちょうど1999年や2000年ごろの話ですが、片道40分ほどフリーウェイでバイク通勤をしていました。

当時も思っていましたが、今から考えても、毎日のことなので積み重なるリスクがありました。

片側3車線で車が10-15mぐらいの車間距離で、100-120km/h で走っているところを、すり抜けして走っていました。

SuzukiのGS500というバイクで、あんまりパワーがないバイクでした。

車で走っていると気がつかないぐらいですが、カリフォルニアのフリーウェイには結構穴や縦溝があります。

ウインカーを出さないで車線変更したり、携帯電話を話しながら運転もする人も結構いました。

上記の車間距離と速度ですから、もし、転んだりすると、よほど運がよくないとこの世には居られなくなると思っていました。

それでも、バイクに乗りたかったので、しょうがないですけどね。だけど、覚悟の上で乗っていたわけです。

今日が人生最後の日であってもいいように、という生き方です。なげやりではなくて、後悔をしない生き方として、 結構よかったように思います。

本当に誰であっても、何年生きるか分からないですよ。

親子喧嘩

弁護士サービスのお客さまにサービスの使い方を説明しているときに、 親子喧嘩をしてしばらく話をしていないと聞いて、大笑いをしてしまったことがあります。

本人が気がついていなかったようですので、ご説明をさせていただきました。本人の名誉のためにも書いておきますが、 年上の女性ですがいつも話し方も上品な方でしたので、ギャップに驚いて笑ってしまったということもあります。

2つのことを理解すると簡単にわかります。

1) 親子でコミュニケーションを取れていなくて、つまらない思いをしたりするのは、誰でしょう?

本人ですね。

2) 自分がいつまで、元気で生きられるか、本当に知っていますか・

分からないですね。今日が最後の日かもしれない。

そう思ったら、何でもこじつけの理由を作ってでも、仲直りをすればいいのです。

妻のJeanetteですが、両親が離婚していたのですが、19歳ぐらいのときに父親と喧嘩して、その次に会ったのが7年後ぐらいで、 最後の面会となりました。

お父さんは、末期ガンで死ぬ直前で見る影もないような姿でした。それで、「ごめん」としか言えなかったそうです。

そんなくだらない意地を張っていて損をして、あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて、涙が出てきます。

糖質栄養素のことを知る前だったので、知ってから、 これがあったらと思って、ビジネスとして頑張っていたわけでもあります。

まとめ

「なってもいいし、ならなくても、いいけど、なったらいいなぁ」ぐらいの執着のない、なげやりでも、ギャンブルでもない、 バランスのいいスタンスがいいと思います。

映画のブレードランナーのエンディングでもそうでしたが、いつまで生きるか分からないものですよ。一応、 死ぬ時期を見える人や寿命というものが合っても、人間には自殺できるぐらいの自由意志がありますので、未来などいくらでも変わります。

今日のランチのテーブルで、2人ほどセールス関係の人がいて、「誰にでも公平なのは時間だから、 有効利用して自分を磨かなければ勝ち組になれない」というようなことを話していました。

向上心の高い人たちだったので、話の腰は折らずにそのままにしていたのですが、本当に公平なのは私たちの自由意志だと思います。

自分の意識によって、時間は逆戻りをしなくても、伸び縮みをするかのように、速度と密度が変わります。

過去も未来も幻想のようなもので、全ては現在の連続です。「今」しかないわけですね。

そんなわけで、「アセンション」というのは、ならなくてもいいけど、なったら、うれしい、たのしい、 しあわせだなぁというぐらいがよろしいと思います。

ありがとうございます。

-Naoki

 

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